大阪高等裁判所 昭和38年(ラ)103号 決定 1964年5月19日
抗告人 山田辰吉(仮名)
相手方 山田典子(仮名)
主文
本件抗告を棄却する。
抗告費用は抗告人の負担とする。
理由
抗告代理人の抗告の趣旨及び理由は別紙抗告書及び抗告補充書のとおりであり、これに対する当裁判所の判断は次のとおりである。
一、抗告書に記載の抗告理由について
抗告代理人が本抗告で述べるところは、要するに抗告人が浪費者でないことを主張するのであるから、審按するに、相手方提出の戸籍謄本、各登記簿謄本及び抄本、覚書、領収証に、原審での抗告人及び相手方の各審問の結果、当審での抗告人(ただし後記措信しない部分を除く)及び相手方の各審尋の結果並びは証人山田一郎、同山田二郎、同野口三郎の各証言を綜合すると次の事実が認められる。即ち
抗告人は本籍地の農家の次男に生れ、昭和八年頃相手方と結婚し、昭和一〇年には長女和子を、同一三年には次女昭子をもうけ、同一四年一月二四日先代辰吉の死亡により(長兄が早逝したため)家督相続をなし、(辰吉をも襲名)約四町歩の田畑等多くの遺産を継承した。その後弟一郎の分家、農地改革等のため抗告人の有する農地は自作地、小作地合せて一町二反歩位となつたが、昭和二七年末頃にはなお別紙第一ないし第三目録記載の宅地、田畑、家屋等を保有していた。ところが抗告人は昭和二六年から同三〇年まで西宮市の市会議員を勤め、たまたま競輪運営委員に就任したことから、競輪競馬に凝り、約一〇〇万円位の損失を蒙り、加うるに市会議員の選挙費用、交際費、家計費の不足(家計費への補助額は四年間を通じ合計一二〇万円位と認められる。)等のため多額の負債を生じ、昭和二七年暮頃から昭和三〇年頃までの間に別紙第一目録記載の土地を次々と売却し、同目録記載の(5)ないし(8)を除いた土地の売却代金約三五〇万円はその負債の支払に充てた。一方抗告人は昭和一九年頃から西宮商工会議所事務職員古田春子と情を通じ、同女との間に一子があつた。昭和三一年四月抗告人は、相手方に、別紙第一目録記載の(5)ないし(8)の土地の売却代金を資金として、右古田春子と同棲して喫茶店を営みたいと申し出で、相手方及び親族等と協議した結果抗告人は右売却代金約三二〇万円のうち一〇〇万円を相手方等妻子の生活費に残すことを承諾し、かつ別紙第二及び第三目録記載の不動産は娘の和子及び昭子に譲り、今後商売に失敗したり或はその他の理由により負債が生ずることがあつても、右不動産には手をつけないことを確約し、相手方にその旨の覚書を差入れ、右不動産の権利証及び実印を長姉松子の夫山田二郎に預けて家を出で、抗告人肩書地に土地を買入れて新築した建物で前記古田春子と同棲して喫茶店を経営するに至つた。(なお相手方に、抗告人主張のような精神活動が不活発であり、智能も通常人に比して劣つている等の欠点があることは、当審での相手方審尋の結果に照し到底認めえないし、この点についての田中竹子提出の陳述書の記載は措信できない。)ところがその業績不振のための損失を重ね、右喫茶店の敷地購入費及び建物新築費用の不足金約一〇〇万円を加えて約二〇〇万円の負債が生じたので、次姉田中竹子を通じ相手方の諒解をえて、負債整理のため昭和三三年から昭和三五年までの間に別紙第二目録記載の土地を数回に合計約七〇〇万円(ただし内約一五〇万円は小作人に離作料として支払つた。)で売却処分し、三回に合計約四〇〇万円を入手した。(右不動産譲渡についての税金や長女和子の結婚費用は相手方がその手に残された右土地売却代金で支弁した。)しかるになお昭和三七年七月頃抗告人は、西宮市農業協同組合に約二五〇万円の借入金債務を負担してその支払に窮し、別紙第三目録記載の(1)(2)の土地をその担保を供することを約しており、相手方に右負債の支払のため、相手方等の手に残された別紙第三目録記載の土地の一部を処分したい旨申し出たので、相手方は堪まりかねて本件申立に及んだ事実が認められる。
右認定に反する当審での抗告人審尋の結果及び抗告人提出の各陳述書の記載はたやすく信用することができないし、(なお当審での抗告人審尋の結果によると、抗告人は昭和三一年四月別紙第一目録(5)ないし(8)の土地の売却代金のうち一五〇万円を取得して家を出て古田春子と同棲後、前記のとおり、約二〇〇万円の負債が生じたので、昭和三三年から昭和三五年までの間に相手方の諒解をえて別紙第二目録記載の土地を処分して得た約五〇〇万円(小作人への支払分を除く)のうち約二〇〇万円を入手し、滞納税金約七〇万円を支払い、残りをその債務の支払に充てたが、昭和三七年七月当時なお西宮市農業協同組合に約一七〇万円、その他に約七〇万円元利合計二五〇万円位の負債が残つていたというのであるが、その借入金の利息が高利のものであつたとしても、右負債額は首肯し難いものがある。)他に右認定を左右するに足る的確な証拠はない。
以上認定の事実によると、抗告人は昭和二七年末頃から昭和三五年頃までの約八年間に別紙第一及び第二目録記載の土地二五筆を次々と売却し、合計約一、二〇〇万円の売得金(ただし小作人に交付した約一五〇万円を除く)のうち約一〇〇万円は競輪競馬に、約六二〇万円を妻以外の女性古田春子との同棲費用及び同棲生活に因る債務の弁済に費消し、しかもそのうち約四〇〇万円は相手方に前示のような覚書を差入れた後に費消したものであり、現在なお二五〇万円以上に上る債務を負担し、その支払に窮している、というのであるから、抗告人が処分した土地の筆数、額及びその処分期間並びに抗告人の入手した金員の額及びその使途等に徴するとこのまま放置するときは抗告人は更に借財を重ね、抗告人名義の別紙第三目録記載の不動産をも失う虞れあることが窺われ、抗告人は思慮なくしてその財産を蕩尽する浪費者であるといわざるをえない。よつて本抗告理由は採用することができない。
二、抗告補充書記載の抗告理由一、について、
しかしながら、夫婦の一方が準禁冶産の宣告を受けたときは、他の一方がその保佐人となることは民法八四七条一項八四〇条の規定するところであり、家事審判規則三〇条二五条は準禁冶産を宣告する場合において、法律により保佐人となる者がないときは、家庭裁判所は、申立によつて、同時に保佐人を選任しなければならない、と定めているのである。本件において、夫たる抗告人が準禁冶産の宣告を受けた場合には、前記民法の規定により当然妻たる相手方が保佐人となるのであるから、特に保佐人を定める必要がないことはいうまでもなく、原裁判所の本件準禁冶産宣告の審判には抗告人主張のような違法はなく、本抗告理由も採用しえない。
三、抗告補充書二、記載の抗告理由について、
抗告人提出の各不動産登記簿謄本によると、抗告人所有名義の別紙第三目録記載の各不動産に抗告人主張のとおりの仮登記がなされていることが認められるけれども、証人野口三郎の証言により認められる、抗告人が現に西宮市農業協同組合に負担する約二五〇万円の債務のため別紙第三目録記載の(1)(2)の土地を担保に差入れることを同組合に約している事実に、抗告人提出の陳述書(昭和三九年二月四日付)の記載を併せ考えると、抗告人は右目録記載の不動産はなお自己の所有であることを信じ、右仮登記の効力を争うものであることが看取せられ、抗告人が右不動産を失う虞れが全然ないということはできない。のみならず、浪費者であることを理由として準禁冶産を宣告するのは、浪費者が思慮なくその資産を浪費することを防止し、もつて浪費者の財産を保護することを目的とするのであるが、右に資産を浪費するとは、その有する積極財産を喪失する場合のみではなく、借財を重ねて多額の債務を負担する場合をも包含するものと解するのが相当である。そして抗告人が、現に約二五〇万円に上る債務を負担しながら、更に借財を重ねる虞れあることが窺われることは一、において認定したとおりである。したがつてなお抗告人に対し準禁冶産の宣告をなす必要があるものといわねばならない。本抗告理由も排斥を免れない。
四、よつて、本件抗告は理由がないから、これを棄却することとし、抗告費用の負担につき民事訴訟法第九五条第八九条を適用して主文のとおり決定する。
(裁判長裁判官 小野田常太郎 裁判官 柴山利彦 裁判官 宮本聖司)
別紙
第一目録
(1) 西宮市○○町○○番 田 四畝二二歩
(2) 同所○○番 田 四畝一八歩
(3) 同所○○番 宅地 一五二坪
(4) 同所○○番 宅地 一〇九坪
(5) 同所○○○番 宅地 一九五坪
(6) 同所○○○番 宅地 一一五坪
(7) 同所○○○番 宅地 一一四坪
(8) 同所○○○番 宅地 一九二坪
(9) 同所○○○番の一 田 五畝二七歩
(10) 同所○○○番の二 田 三畝一七歩
(11) 同所○○○番の一 田 五畝二三歩
(12) 同所○○○番の二 田 三畝一六歩
(13) 同所○○○番 田 三畝二七歩
(14) 同所○○○番 田 三畝二三歩
(15) 西宮市○○町○○番 畑 二畝三歩
(16) 同所○○番 原野 三畝一八歩
(17) 同所○○番の一 宅地 七一坪六合七勺
(18) 同所○○番の二 宅地 六二坪二合三勺
(19) 西宮市○○町○○○番 畑 五畝六歩
(20) 同所○○○番 宅地 一五〇坪
以上
第二目録
(1) 西宮市○○町○○番の一 宅地 四七坪二合
(2) 同所○○番の二 宅地 三〇坪五合五勺
(3) 同所○○番の一 宅地 一〇一坪四合一勺
(4) 同所○○番の二 宅地 二七坪
(5) 西宮市○○町○○○番 田 四畝一三歩
以上
第三目録
(1) 西宮市○○町○○番 田 三畝二三歩
(2) 同所○○番 田 三畝二二歩
(3) 同所○○番の一 田 八畝二四歩
(4) 同所○○番 田 三畝七歩
(5) 西宮市○○町○○○番の一 畑 一畝二八歩
(6) 同所○○○番の一 宅地 三八七坪八合四勺
(7) 右地上、家屋番号同町○○番
一、木造瓦葺平家建居宅床面積五九坪三合
附属
一、木造瓦葺二階建物置 床面積 一階四坪 二階四坪
一、木造瓦葺平家建便所 床面積 五合
一、木造瓦葺二階建物置 床面積 一階七坪 二階七坪
一、木造瓦葺平家建物置 床面積 二〇坪
一、木造瓦葺平家建物置 床面積 一三坪
以上
別紙
抗告の理由
一、抗告人は被抗告人の申立により昭和三八年五月八日神戸家庭裁判所尼崎支部において、浪費者として準禁治産の宣告を受けて同月一一日その宣告を知つた。
二、右神戸家庭裁判所尼崎支部の宣告の理由は、抗告人が戦後から競輪競馬に興味を持ち、金員を浪費するようになり、又西宮市会議員となつた昭和二六年から昭和三〇年頃までの間西宮市商工会議所事務員古田という女性と妾関係を持ち、多数の金品を贈与し、昭和二八年頃から二〇数筆に及ぶ田畑を他人に売却し、昭和三一年四月頃右妾のため家屋を建築して同棲した。其の後も同様に借財を重ねて浪費するものであると言うにある。
三、併し抗告人は以下に述べる所により決して浪費者ではない。
先づ抗告人の主張を明らかにするためその経歴を略述する。
1 抗告人の経歴
抗告人は本籍地の旧家の次男として明治四四年三月一四日出生し、襲名前の名前は文男といつた。
抗告人の先代辰吉は其の所有田畑約三町歩と称された地主であつた。抗告人は昭和三年三月兵庫県立○○中学校を卒業し直ちに小学校の義務教育のみを終えて農業に従事していた弟一郎並に雇人等と共に家事の農業に従事中、昭和六年一一月一二日頃先代辰吉の弟時男の長女典子(抗告人の従兄姉で抗告人より一歳年長)と結婚式を挙げ、同八年二月六日右典子を入籍した。そして同一〇年一月三〇日長女和子、同一三年三月四日次女昭子を挙げた。然る所同一四年一月二四日先代辰吉死亡により襲名の上家督相続し、田畑等の遺産を相続し、同一六年親族のすすめもあつて旧武庫郡瓦木村上瓦林区長町内会長、瓦木中央土地区画整理組合役員、同副組合長、西宮市商工会議所事務職員等の役職に就いたが昭和一八年戦争の苛烈化に従う食糧増産の要請に応えて役職を辞し、再度自らも鍬を奮う農民となつたが、同一九年亦々推されて地区農業会長、西宮農協役員の職に就き、食糧増産、米穀供出奨励等に尽力しているうちに終戦を迎え、やがて戦後最も大きな改革と言われた農地改革を迎えた。そして抗告人が多数所有していた農地は、昭和二〇年一二月の第一次改革、同二一年一〇月の第二次改革によつて小作人等に其の大部分を譲渡の止むなきに到り、在村地主としての保有面積を六反歩に引き下げられた。そしてその他の自作地六反歩を耕作していた。それに加うるに従来物納の小作料が反当り七五円にされると言つた状態で地主である抗告人は窮迫の一途を辿るのみであつた。昭和二六年四月同町内の有力者より推挙されて西宮市会議員となり、市の諮問機関たる競輪運営委員に選任され、昭和三〇年四月任期満了により市会議員を辞し、再び家業の農業に従事し、昭和三一年四月から被抗告人と別居し現在に到つている。
2 古田春子と同居するに至つた事情
抗告人は昭和三一年四月から古田春子と同居しているが同居するに至つた事情は次のとおりである。
抗告人は被抗告人典子と昭和六年一二月結婚式を挙げ爾来昭和三一年迄同居して来たが被抗告人は抗告人より一歳年上であり従兄姉の間柄であつたので深い面識もないまま親のすすめに従つて見合いもせずに結婚したが、被抗告人は精神活動が不活発であり、智能も通常人に比してやや劣つて居り、抗告人の話等は殆ど理解出来ず結婚同居二十数年間十分間と続けて話をした事もなく、来客の応待も通常人並みに出来ず多数人のなかにまじると熱が出て頭痛を催すと言つた状態であり、抗告人が昭和一二年八月から同一四年七月まで支那事変で応召している間も慰問の手紙、慰問袋等も寄越さないので抗告人は腹立ちまぎれに召集解除になれば離婚するからとの手紙を書き送つた程である。そして抗告人としては常に離婚の問題に頭を悩まし続けて来たが、娘二人も出来ていることでもあるので自重に自重を重ねて来たのである。一方抗告人は昭和一七年西宮市商工会議所事務職員として一年間程勤務するうち同僚の女事務員であつた古田春子と知合い抗告人の家庭事情を聞知した右春子が大いに抗告人に同情し、抗告人の家庭にも遊びに来て、それとなく被抗告人の啓蒙に尽力したが到底通常人並に能力を引き上げ得なかつた。
他面春子は養子松吉応召留守中其の母うめ、及び長女幸子を抱えて生活の資を得るため事務員として働いていたのであるが、終戦で復員した養子松吉はその実家の兄が戦死を遂げた為郷里の千葉県に帰つてその実家を継ぐことになり春子に対する松吉のたつての要請で協議離婚をした。その後抗告人と右春子とは関係を生じ、男子忠男(当十七年)を儲けた。右の如きいきさつで春子と関係を生じたのである。
3 抗告人は土地を売却して浪費した事実はない。
抗告人は昭和一四年一月二四日先代辰吉死亡により襲名の上、家督相続をなしたのであるがその効果として先代辰吉の遺産は抗告人一人が之を取得し、悉くが抗告人の財産となつたが弟一郎分家の際は相応の財産を分与しているのである。被抗告人は抗告人方に嫁して以来百姓をするために来たのではないと揚言し、農作業には全然従事したことなく生活費は農業収入等により悉く抗告人が之を支弁して来た。而して相続によつて抗告人が取得した多くの農地は戦後農地改革によつて抗告人の手許に残された農地は約一町二反歩(自作地六反歩位小作地六反歩位)であつた。被抗告人は抗告人が競輪競馬にふけり古田春子と妾関係を持ち浪費するとしているが左様な事実は毛頭ない、右春子は戦後お茶、生花の教授をしたり、ミシンの内職をしたりして自分方の生計を立てて来たものであつて抗告人が多額の金品を贈つた事実は全然ない。抗告人は昭和二五年頃から同三二年頃にかけて宅地、田畑等の相当量を処分しているが右不動産を売却した金員は被抗告人典子、長女和子次女昭子、被抗告人の母及び抗告人を含めて五人の生計費と西宮市会議員に立候補した選挙費用、市会議員在任中の交際費、及び市会議員在任中に出来た借金返済等に使用しているものである。西宮市会議員の報酬歳費は月二万円であつたが市会議員としての品位と体面を維持し、選挙民に対して所謂義理をつくす為には月五万円でも汲々とせねばならぬ状態であり、之に加うるに月二万円位の前記家族の生計費を支出せねばならず、又市会議員在任中作男、作女等の農業労務者を雇い入れねばならず、之が賃金も相当多額にのぼると言つた事もあり、抗告人の土地を処分して得た金員も殆どかかる方面に使用しているのであつて決して浪費した事実はない。抗告人は生来酒を嗜まず、麻雀、バー、キャバレー等に足を踏み入れたこともなく融通の利かない堅物で通つて来た男である。
只抗告人としても昭和二六年から昭和三四年頃迄の八年位の間に百万円位の金を競輪に使つた事を認めるにやぶさかでない。併し之とても抗告人が西宮市会議員在職中競輪運営委員をした関係で同僚議員の競輪運営委員との交際上止むなく競輪の車券を買はざるを得なくなり些か深入りして月一万円見当を使つたのみである。そして抗告人は昭和一九年以来関係を持ち、一男(抗告人の子供)一女(養子松吉の子供)を有し抗告人に対してよく仕えてくれた春子に対し、少しでも老後の生活を安定させてやりたいと考えその収入を得る途として春子に純喫茶店を経営させることを計画し、右計画については抗告人の長姉松子夫婦、次姉竹子夫婦及び典子の叔母小玉良子並びに典子にも相談諒解を得て春子所有の土地家屋を七〇万円位で売却させ、それ以外の建築費、用地買収費、設備費等の不足金一三〇万円位を補助して春子をして喫茶店の経営を開始するに至らしめたが、素人商売の悲しさ、忽ち営業不振の憂目を見て雇人の人件費の支払にも事欠く始末で月二万円位の欠損金を生じ一年位後の昭和三二年四月頃には借財が一八〇万円にも達したので抗告人所有の土地を親族協議の上昭和三三年六〇〇坪当り単価五、〇〇〇円合計三〇〇万円、昭和三四年二反歩坪当り単価五、〇〇〇円合計三〇〇万円で売却し、その中から一〇〇万円当ての二〇〇万円を抗告人が受け取り、残額四〇〇万円を典子の手許に残しその生活費等にしているのである。
又抗告人は被抗告人が準禁治産宣告を申立てた際申立書添付の目録記載の土地を売却したことはあるがそれは前にも記したとおり昭和二五年頃から昭和三二年頃までの間のことであつて坪当り単価四〇〇円乃至五、〇〇〇円で合計七二〇万円位であつてその内抗告人の使用したものは一五〇万円位であり、率にして五分の一位である。而も売却はその大部分が昭和二五年から同二九年迄であつて売却単価も五〇〇円乃至三、〇〇〇円であつて金額もそう多額にはのぼつておらずその使途も前述のとおりその殆どが被抗告人方の生計費や市会議員立候補の際の選挙費用や市会議員在任中の交際費等に使用しているのである。
被抗告人は抗告人が春子に喫茶店を持たせるために金品を使用したことをもつて抗告人を浪費者なりと断ぜんとするものの如くであるが十数年間誠実に仕えてくれた春子に対してその位の金品を出してやつて老後の安定を計つてやることは蓋し止むを得ないものである。春子も喫茶店を始めるに当つて殆ど半額に近い金を出しその後も多くの金品を使用しているのである。
四、以上の次第であつて抗告人は決して浪費者ではないので原審判の取消を求めるため本抗告に及んだ次第であります。
抗告補充書
一、原審の神戸家庭裁判所尼崎支部の審判書においてはその主文において単に「事件本人を準禁治産者とする。」旨の決定をなし、何人を保佐人とするかを決定していない。蓋し準禁治産者となし行為能力を奪つておき作ら、行為能力の補充をなさない事は許さるべきではないと解する。民法第一一条は「………準禁治産者として之に保佐人を附することを得」と規定するが、準禁治産宣告をなした以上は保佐人を附さなければならない事は通説であり、この点から丈でも原審決定は破棄差戻さるべきものである。
二、別紙添付の土地登記簿謄本の通り、現在抗告人事件本人山田辰吉名義の田、畑、宅地に至る迄昭和三一年四月四日贈与予約を原因とする所有権移転請求権保全仮登記を長女山田和子に対して為している。而もそれは神戸家庭裁判所尼崎支部において第一回の審尋の行われた昭和三八年三月一四日の四日後である同月一八日に為されている。右田、畑、宅地は抗告人事件本人の有する全不動産であるが右の様に所有権移転請求権保全の仮登記をなし、その後の抵当権設定、所有権移転等の処分を不可能ならしめた上、更に準禁治産者となし行為能力を剥奪する必要が何処にあろうかかかる行為は正に死屍に鞭打つ行為であつて、被抗告人の残忍酷薄な性質を立証して余りあると言うべきである。